2021/08/28

無理数比の場合の平行比定理の証明(Dedekindの公理とε-n論法)

この平行比定理をほとんどすべての人たちは教科書や教師に促され、証明せずに事実を認めて使っています。以前にもどこかで触れましたが、中高の数学、否、大学以降の数学もそうです。数学は厳密だと言われながら、そんなに厳密ではないのです。ある仮定の下で厳密に議論しているに過ぎないのです。それで十分だと思います。この「いい加減さ」に気づかないと思わぬところで苦戦を強いられます(何度苦しんだことか)。謎の数学者さんも似たことを動画で話されてました。

『数学事始め』「12.1 平行線の幾何Ⅱ(平行線と比例)」からの抜粋

 命題31(平行比定理)
2直線 ℓ, mを互いに平行な4本の直線で切り、その交点をそれぞれA, B, C, D;A', B', C', D' とする。このとき、AB:CD=A'B':C'D' が成り立つ。▮
証明 ⅰ)AB:CD=n:k(整数比)のときは,ABをn等分,CDをk等分し上の補助命題を適用するとA'B':C'D'=n:kを得る.
ⅱ)AB:CD=α:1(αが無理数)のときは,中高の内容を超える証明となる.この証明にはDedekindの公理と極限(もしくはε-n 論法)を使うことになるので,事実として認めることにする.▢(抜粋終)


証明のⅱ) は中高の数学を逸脱します。『数学事始め』は原則として中高数学の内容を扱っているので高等数学を使う訳にはいきません。でもどうしても証明が気になるという人もいると思うので、この数学雑談で紹介します。きちんと理解するには大学1, 2年くらいの知識が必要です。大雑把でいいのなら中高の知識で概要はつかめます。


証明を書き上げてみるととても長くなりました。それをそのまま書いてもいいのですが、これは数学の専門書ではないので、次のように書くことにします。
はじめに細かい部分を省いて流れを書きます。人に依ってはこれで十分だと思います。
それから(※1)などとした部分の解説をします。普通に証明を書くときの「何となれば」や「実際に」に当たる部分です。


(少し下に参考図があります)
証明 ⅱ)AB:CD が無理数比なら,2つの項をCDの比で割ることにより α:1(α は無理数)と書ける.そこで次のことを証明すればよい:
AB:CD=α:1 ⇒ A'B':C'D'=α:1.

αは無理数であるから分母の同じ2つの有理数で挟める.そこで十分大きい正の整数nを考え

               k/n < α < (k+1) /n

と評価できる(※1).kはこの不等式を満たすように取った整数である(※2).このnで線分CDをn等分しこのときの長さCD/nで線分ABを点A側から分割し,ABの長さを超えたところで終えることにする.分割された各点を通りAA', BB' に平行な直線を引き線分A'B'を分割する.このとき
              k・CD/n < AB< (k+1)・CD/n

が成り立つ(※3).すると平行線によって対応する線分A'B', C'D'に対しても

             k・C´D´/n < A´B´< (k+1)・C´D´/n

は成り立ち(※4),辺々をC´D´で割って

              k/n < A´B´/C´D´< (k+1)/n

を得る.ここでnをどんどん大きくすれば k/n,(k+1)/n はどんどん α に近づくので,この
2数の挟み撃ちによって
                 A´B´/C´D´=α
となる(※5).つまり
                A´B´:C´D´=α:1
となり主張は示された.▢


※1 nを十分大きくとる理由:線分ABとCDの大小が分かりませんね。少し後に線分ABをCDを何等分かした長さで分割するのですが、そのときにCDをn等分した一つの長さがABよりも長かったら議論が進まないからです。そのためにABを分割できるくらい十分大きいnを想定しています。

※2 整数kの存在について:Dedekindの公理によって無理数 α による分割 (U, V) を考える.すると集合Uの分母をnとする最大値 k/n, 集合Vの分母をnとする最小値 (k+1)/n が存在して
                                                             k/n < α < (k+1)/n.▮
この説明でも理解する人はいると思いますが粗削りの議論です。分母をnとする有理数の存在や分子の差が1で取れる理由は省いています。
まず分母をnとする数の存在は、αは無理数なので適当な2つの自然数e, f によって
                   e<α<f
と評価できます。したがって
                   ne/n<α<nf/n
とすることで、
 ne/n∊U, nf/n∊V は言えました。もっと簡単に、Dedekindの公理から言えますね。存在しなかったらDedekindの公理に反します。
次に差が1で取れることについてですが、これは分子の差が1でない分母がnの2つの有理数によって
                  c/n
<α<d/n
と評価されているとします。このとき c<b<d を満たす b/n はUとVのどちらかに必ず含まれていますね。この議論を繰り返すことにより、αを評価する分母がnで分子の差が1の有理数がつくれます。


※3 不等式を導く: 
  k・CD/n = (k/n)CD < αCD =AB,
            AB = αCD< ((k+1)/n)CD = (k+1)・CD/n.
        つまり
              k・CD/n < AB< (k+1)・CD/n.▮
        (尚、
AB = αCDは仮定AB:CD=α:1から得られる

※4 遺伝について:直線 ℓ 上の線分ABをCD/nの長さで分割する.そのときの分点を順にA(1), A(2), A(3), ...,A(k), A(k+1) とし,この各点を通るAA', BB' との平行線と直線mとの交点を順にA'(1), A'(2), A'(3), ...,A'(k), A'(k+1) とする.(図のAkとここでのA(k)は同じもの)
もしも遺伝しないとすると

           A´B´< k・C´D´/n  または  (k+1)・C´D´/n< A´B´

が成り立つことになる.仮に A´B´< k・C´D´/h であるとする.このとき点B’に着目すると,
i<k なる2点A'(i), A'(i+1) の間に点B'が存在することになり,直線BB'は直線A(k)A'(k)と交わる.これはAA'∥A(k)A'(k)∥BB'であることに反する.したがって,k・C´D´/n < A´B´.同様にして A´B´< (k+1)・C´D´/n を得る.よってA, B, C, DはA', B', C', D'にそれぞれ遺伝する.▮


※5
 極限について:
 k/n < α < (k+1)/n においてnを無限大に飛ばせば k/n,(k+1)/n → α となる.実際,任意の正の数εに対して,アルキメデスの公理によって1< pε なる正の整数pは存在する.このとき p<nを満たすようにnを選べば不等式

          |k/n - α|<|(k+1)/n - k/n|= 1/n < 1/p < ε, 
         |(k+1)/n - α|<|(k+1)/n - k/n|= 1/n < 1/p < ε
が成り立つ.
したがって挟み撃ちの原理によって
                     A´B´/C´D´=α.▮


大雑把な証明は寺阪の『幾何とその構造』34ページを参考にしました。この本は絶版になっていて、いまamazonで確認したら洋書並の価格が付いていました。▢


証明の最後に登場した、数学科の学生が一度は泣かされるイプシロン・デルタ論法ですが、私は下の本で学びました。出版年が1978なのに今も売れ続けているようです。田島一郎先生はいい仕事をされましたね。

田島 一郎 著 数学ワンポイント双書『イプシロン‐デルタ』(共立出版)


そういえば、以前紹介した信州大学の若い数学者もこの本を紹介していました。連続性を理解するのにいい本だと書かれていたと記憶しています。ゼミで使われたようです。

2021/08/25

数学の証明のみかた ~数学の証明に打ちのめされている人へ~

"みなさんは証明をどのように捉えていますか。
数学オンチの頃は厳密さを保つためだとか、なぜの疑問に答えるものだとか思っていたので、証明を苦痛に感じることがありました。それはいまも変わっていないように思います。でもあるとき、同期の優秀な学生から「理解を単に深めるだけでなく、証明を通じてその定理の使い方や新しい考え方を得る」と聞いてから見方が変わりました。"

これは『数学事始め』の「11.18 平行線の幾何(三角形の重心)」で書いた一文です。


Fermat の最終定理が1995年にWilesとTaylorによって完全解決されたのは良く知られている事実ですね。その当時は(360年もの間未解明であったことが)とうとう解決されたかという程度の理解でした。凡人と数学者の違いはここにあるようです。数学者は証明された事実よりも、その鍵となった楕円曲線に目を向けていたようです。谷山・志村予想の部分的解決と岩澤理論、そして代数幾何を数論に応用させた数論幾何(数論的代数幾何)へとです。

私に証明の見方を教えてくれた学生は、シルバーマンの『楕円曲線』(J.H.Silverman "The Arithmetic of Elliptic Curves")をセミナーで読んでいました。



左の本はその学生が読んでいた本。真ん中は、J.ノイキルヒ著『代数的整数論』という本で数論幾何を研究していた学生が独自で読んでいた本です。私の本棚にもどちらも鎮座されています。右の本は以前にも紹介した楕円曲線を学んでみたい人にお薦めの本です。

ノイキルヒの本のそでには「学部3年生程度の代数学の初歩(群環体)」を予備知識として仮定していると書かれていますが、数学の専門書は大抵このように表現しています。具体的には、松坂和夫の『代数系入門』や石田信の『代数学入門』がそれに該当すると思います。でも実際は、雪江明彦の『代数学1,2』ないしは Serge Lang の "Algebra" を仮定しているように思います。謎の数学者さんの教えに従い、取り敢えず第1章を読んでみてください。数学はいつになってもたのしいものです。自分のペースでたのしみましょう。▢

2021/08/21

この重心の証明にはキズが...

『数学事始め』で連載している「平面の幾何Ⅲ 平行線の幾何11.18」では紹介しなかった証明をここで紹介します。 この証明にはキズがあるからです。

命題30 三角形の3つの中線は1点で交わる。▮

証明 △ABCの辺CA, ABの中点をそれぞれM, Nとし,中線BM, CNの交点をGとする.さらに直線AG上に点KをGがAKの中点となるようにとり,直線AGとBCとの交点をLとする.このとき点LがBCの中点であることを示す.

△ABKに着目すると2点N, Gは中点であるからNG∥BKとなる.つまりGC∥BKである.同様にして△AKCに着目するとBG∥KCを得る.したがって四角形BKCGは平行四辺形となるので,対角線BC, GKは中点で交わる.つまり点LはBCの中点である.よってALが中線であることから命題は示された.▢

この証明は下の小平邦彦著『幾何への誘い』

の155ページに旧制中学の幾何で習った証明ということで紹介されていて、ユークリッド原論の不備を指摘しています。その不備というのは「中線BM, CNの交点をGとしているが、これは図形に頼っていて論理的でない」というものです。そして177ページで平面分離公理が必要であると述べています。でも不備はこれだけではありません。

尚、この本はユークリッド原論を否定するものでなく、旧制中学で学んだ平面幾何は数学の初等教育には最適の材料であったことを主張し、これを推奨しています。第1章 図形の科学としての平面幾何、第2章 数学としての平面幾何 と題し、図形の科学としての平面幾何で十分だと述べています。155ページ、177ページは第2章で、ここではヒルベルトの『幾何学基礎論』について触れています。

第1章だけでもかなり豊かな内容です。例えば次の命題を証明できますか。

命題 △ABCの重心Gは垂心Hと外心Oを結ぶ線分HO上にあり,HG=2GO である.▮

中高で学ぶ初等幾何を前提にしています。(94ページの定理6.5)


閑話休題。命題30の証明に平面分離公理(『数学事始め』では公理4)を認め交点Gを持つことが言えても、この証明は受け入れられません。さてどこに問題があるのでしょうか。

この証明は中線の交点をG,G’ のように2つ考えずに、第3の中線がGを通ることを直接述べているのですっきりしています。問題がなければいい証明だと思います。

では受け入れられない理由を述べます。


点Kが三角形ABCの内部でもなく辺上でもないのはなぜですか。


この証明が中高生の教科書、参考書、問題集および授業でされてないといいのですが...。▢


2021/08/14

カルピスと地図(比と割合と基本の基②)

数学者の森毅さんの言い分を別の問題で示してみます。

いまもカルピスはあると思いますが、私がかわいい少年だった頃の贈り物はカルピスというのが一つの定番でした。ふつうのカルピスだけでなくオレンジ味もありました。カルピスは茶色の瓶に入れられ水玉の紙包みにくるまれて涼し気でした。カルピスの味は各家庭で濃かったり薄かったりしました。カルピスを製氷皿で凍らせて食べるのも好きでした。カルピスが飲みたくなりましたか。

さて、おいしいカルピスは原液50mLに対して水200mL入れたときだったとします。このおいしいカルピスを350mL作るにはカルピスの原液と水をそれぞれ何mLずつ入れたらいいでしょうか。(正解は※1で)

差で考える人のカルピスは、水と原液の差が150mL であればよいから (350-150)÷2=100 という計算をして、原液100mL、水250mL となります。もしも 2Lのカルピスを作るなら原液が925mL、水1075mLとなりほぼ等しい量なので、かなり甘いカルピスが出来そうです。150mLのカルピスを作るときは水150mLで原液0mLとなるのでただの水です。差で考えるのが誤りだと気づくのではないでしょうか。料理も算数もときには失敗も必要だと思います。学校ではあまりに人数が多くこのような教え方は難しいと思いますが、家庭なら気軽にできますね。



次は地図の縮尺についてです。
地図の縮尺については数学(算数)でも社会 (地理) でも教えられましたが、なぜかその教え方は公式主義でした。このため3つの公式を暗記させられます。でも公式ではなく原理を教えれば、この手の問題は同じように解けますね。

縮尺は比 または 割合(比の値)で表現されますが、いずれも基準は実際の距離で地図の距離が比べる量です。だから、地図の距離:実際の距離 または 地図の距離/実際の距離 であることを理解していればかんたんに解けます。

例題①縮尺3:5000の地図上で4.2㎝の距離は、実際には何mですか。
  ②家からコンビニまで1.2㎞のとき、縮尺3/5000の地図上では何㎝ですか。


このように解けばいいのです。小学生なら②を ▢÷1200=3/5000 と考えれば解けます。
答えが現実的でないのはご勘弁を。

理科(物理・化学など)でも公式主義で教えられましたが、教えている方は暗記すれば簡単に解けると考えているのかもしれませんね。計算は数学においても道具なので、使わないのは宝の持ち腐れです。▢

森 毅 著『まちがったっていいじゃないか』(ちくま文庫)



※1 原液:水=50:200=1:4 なので、全体350Lを5等分した中の1を原液、4を水にす
  ればよい。したがって、350÷5=70 より、原液70mL, 水280mL となります。

2021/08/11

数学科を選択するかどうか

日本の大学の問題点は謎の数学者さんの動画をご覧ください。もしも私が高校生であって家が裕福であれば、日本の大学でなく外国の大学への進学を考えると思います。


いろいろな点で余裕のある人は極一部だと思います。そこで数学科を選ぶかどうかで迷っている人へ向けての判断の目安を一つ書いておきます。

数学の偏差値は関係ありません。まだ習っていない分野を教科書で読み、例題や節末問題が解答を見ずに自力で解けるようなら数学科への進学はおもしろいと思います。そうでなく、例題の解答を読んで類題が解ける、参考書を頼りに節末問題が解けるというなら数学科への進学は地獄をみると思います。これまでも書いてきましたが数学の専門書は解答がていねいではありません。


高校1年の夏に数学をし始め、幸運にも大学で数学を学べるようになり、ある意味必然的に小中学生にも数学を教えるようになりました。教え始めのころの小中学生は、知識を確認し考え方を教えるだけでどんどん成績が伸びました。当時の私より優秀な生徒ばかりだったので教えるのはとてもらくでした。

ところが高校生を教えるようになってから異変を感じました。当時の私より優秀なはずなのですが理解がよくないのです。とくに偏差値上位校の生徒を教えるようになって気づいたことがありました。皆さんにとっては常識なのかもしれませんが、私にとっては衝撃でした。

それまで数学の成績がいい人・数学を得意にしている人たちというのは、短い時間で解き方を発見して解いていると思っていたからです。だから解き方を暗記しているというのを知ったときに、学校の成績や偏差値は1つの目安でしかなく、問題が解けたからといってどのような力があるかは判断できないということを理解しました。

問題が解けることと理解していることの隔たりは、自分自身の院試 (口頭試問) で骨身にしみて感じていました。単に暗記しているからテストで点が取れていて、成績が良いというのは驚きでした。数学オンチだったのでどの問題も基本に戻って考え、その中で自分なりの解き方を見つけそれを増やしてきました。もちろん教えてもらったものもあります。

そう考えると一流と呼ばれるK中学やT高校に進学したO君やI君は、名の通った塾に通って勉強していました。塾に通うことで解法を暗記するというのを覚えたのかもしれません。高校生の伸びがよくなかったのは暗記による弊害だったのかもしれません。彼らは考え方よりも解き方を知りたかったのかもしれません。▢


藤原正彦 著『若き数学者のアメリカ』
小平邦彦 著『怠け数学者の記』


いずれも読みやすいと思います。『若き数学者のアメリカ』は読んでおもしろかったので、高校時の数学の先生に紹介したらおもしろいと好評だった本です。受験生でない人は夏の読書に如何でしょうか。

2021/08/07

比と割合と基本の基 ~あなたの知らない世界 a:b ,a/b の意味と三角比の準備 ~

 高校数学まで学べば、割合のことも比ということに気づきます。例えば、三角比、等比数列で使われている比は割合のことです。

割合というのは、2つの量を比べるときに一方を基準にして他方が何倍であるかという考え方でした。自分の体重が40㎏で父親の体重が100㎏だったら、父の体重は私の2.5倍です。母の体重が30㎏だったら、母は私の0.75倍(3/4倍)となります。このように1より小さい値のときは倍を付けずに0.75(3/4)とか、75%とか、7割5分などとも表現します。

割合の考えでもっとも基本的で確実に理解しておくべきことは、「自分自身を1と考えたときに比べているものはどれくらいか」ということです。上の例で言えば、父の割合が2.5ということは自分の2つ分と半分あるということで、母の割合0.75は自分の3/4、または自分の0.25(1/4)分少ないという感覚です。割合は自分自身を常に1として考えているのです。

というのは、割合よりも考え方が柔軟で自分自身を1だけでなくいろいろに変えて考えることを許します。父と私の体重の例をそのまま使って説明すると、私を40と見ると父は100で、私を4と見れば父は10です。私が2なら父は5で、私が1なら父は2.5となります。これが比の考え方です。比は自分の都合に合わせて考えることができます。このことを柔軟と表現しました。


比を数式で表現してみましょう。私を40と見ると父が100は、100:40となります。


多くの人が驚かれていると思います。「間違いだろ!」「40:100 だよ」というように。
いいえ間違いでも逆でもありません。これで正しいのです。基準にしているのを後ろに書いて表現します。「そう習った記憶がない」かも知れませんが、自分自身でそのように読んでいますね。「100対40」って。この意味は「40に対する割合が100」です。

英語では「ratio of 100 to 40」(40に対する比 [割合] が100)と読みます。


もう少し続けます。自分自身の見方を変えて表現した

「私を40と見ると父は100で、私を4と見れば父は10です。私が2なら父は5で、私が1なら父は2.5となります」

はすべて同じ対象なので、100:40=10:4=5:2=1.5:1 です。比の性質からこの事実は納得してくれると思います。
最後の式 1.5:1 が割合のことです。小学算数で a:bに対して a/bを比の値というと習いますが、これは割合のことです。比の値というのは、自分自身を1と見たときの比のことです。まさに割合ですね。


まとめます。数学では比も比の値も割合もごっちゃにして扱います。元々、英語では比も割合も "ratio" です。翻訳したときに工夫して漢字をあてたのかもしれません。大切なのは基準が何なのかだけです。最初に書いた三角比、等比数列の比が割合であることを納得してくれたと思います。

学校教育では、比を学んで直ぐに比の性質「a:b=c:d ⇔ ad=bc」を教えていろいろな計算をさせますね。中学数学で学ぶ「相似」ではこの比の性質を前提にして話を進めていき線分の長さを求めるのに夢中になります。だから100:40を100対40と読んでいても、40に対する割合が100の意味であることを理解していないのです。そういう私自身も、相似のときはただの計算とみています。


余談
ある高校で非常勤講師をしていたときの話です。三角比をどう指導するかという話になったときに、その場にいる10人を超える数学教師たちが割合も比も三角比の定義の意味も知らないことに気づいて悲しくなりました。数学を教えるくらいだから問題は解けますが、理解していないのです。このような状況なのだから多くの人が割合を理解していないと考えられます。割合の特集を組んだのもこの事情があってのことでした。点数至上主義でいる限り割合や比を理解せずに年を取り、統計や〇〇率に騙される人を生産し続けるのだと思います。


最後に伊原康隆さんの著作『志学 数学』から抜粋して終わります。


(6ページからの抜粋)
自分でよく考えないうちにすぐに解答をみて解法を憶えてしまおう、というやり方は一見能率的に思えるが、実は中~長期的に見ると全く不能率。よく考えて構造を把握する力をつけることの方が「千倍」強い。(中略)数日後の試験には間に合わなくても、数か月後の実力を問題にするなら、確実に「よく考える」訓練をする方をお勧めします。なぜかというと、浅いわかり方は、暗い弱い光のようなもので応用が利きません。深いわかり方を実感として知るには、「わからない」から入ってそれと立ち向い自力で「わかった」と抜けるしかありません。このプロセスが考えるということで、この訓練によって考える力もつき、光が抜けるように早くわかるようになるのです。

数学的思考が全く苦手という方にとっては、数学の試験など「一時的に凌げればよい災難」というわけで、暗記に頼っても仕方がないかもしれません。でも本当は喰わず嫌いで「考える喜び」を体験する機会を逃がしているだけなのかもしれません。又、本来は考えることが好きな生徒さん達までが焦って、早く解法を暗記して…となってしまうのは(能力開発のために)もったいないし、(試験のためにも)非能率的です。▢
※ 太字強調は理一による

2021/08/04

思い出し(out-put とか recall とか言われている)をどのように行っているか

『理一の数学事始め』の「11.4 平行線の幾何(ユークリッド原論の第五公準と平行線公理【後】) 」の文末に書いた余談の再掲です。
受験勉強には役立たないと思いますが、趣味で数学をされている人には役立つと思い再掲することにしました。


余談 第5公準と平行線公理の同値性を理解するのは、易しくありませんでした。数学書は細かいことを省くことが多いので、それを埋めるのに合計6時間ほど掛かりました。

実際は次のような手順を行いました。数学書で証明の流れを理解し自分で書き出してみる。数学書を見ないようにし証明を書いてみる。理解はしているので、つっかえつっかえ書き、3分考えて書けないときは自分で書き出しておいた紙を見、確認したら見ずに書いてみる。しばらくしてからまた書いてみる。ゆっくりではあるが見ないで書けるようになったら、3時間ほどおいて証明を書いてみる。この頃には自分の言葉で書けるようになるので、細かいところに気づくようになります。この細かいところを埋めるのに時間が掛かるのです。数学書で確認しても書かれていません。翌日、証明を細かいことまで書いてみる。
このnoteは5日後に数学書を見ずに証明を書き上げました。これまで知らなかったことを書くときには、だいたいこのような流れです。定義や命題などの文言を書くときは数学書で確認しますが、その他は自分の言葉で書いています。
思い出し(out-put とか recall とか言われている)をすると、知識が整理されてやっと血肉になります。私はとかく時間が掛かります。この思い出しをちょっとした時間に行います。散歩とか散髪の間とかいろいろです。▮


伊原 康隆著『志学数学』はこれまでも紹介してきましたが、数学を学ぶにはとても参考になる本だと思います。



独学されている人にはこういうのも役に立つと思います。
          信州大学の松澤泰道さんのホームページ
若い数学者ですが、学部生の頃から指導教官の新井朝雄教授(解析系)の著書に関わっていたと思います。

および リンク先に書かれている "セミナーの準備の仕方についてはこちらを参考にしてください" の「こちら」をクリックすると「セミナーの準備のしかたについて」に飛びます。東京大学の河東泰之教授が書かれたものです。

以前これを読んだときにそのような授業をされていた数学者を1人だけ思い出しました。東京大学出身の数学者でしたが、その教授は数論幾何を専門にしているので河東教授とは関りがないと思います。 その教授は授業の一切を何も見ずに、ときどきは考えながら証明をしていました。授業を受けている学生はそれに気づき驚いていました。私はその数学者しか知りません。ほとんどすべての数学者は、授業の流れをノートで確認して授業をしていました。もちろん、証明のときにノートを見て板書するようなことはしませんけどね。

ちょっと・・・それは・・・ ~ 定義とその周辺の話 ~

内容的には高校数学なのですが高校生には難しいと思います。ただ高校生であっても定義・定理(命題)・公理の区別が出来ているのであればおもしろいと思うし、数学教師志望の教育学部や数学科の学生には興味深い話だと思います。 現在、 『数学事始め』 では指数関数・対数関数の話をしています...