いきなりの問題で嫌だと思いますが、これを考えてみてください。
「小さな箱が8箱あり、1箱にデコポンが6個ずつ入れられています。全部でデコポンは何個ありますか」
あなたなら、この問題をどのような計算式で答えの48個を導きますか。
日本の学校教育に忠実な人は、6×8 が多く、8×6 は少数だと思います。
日本以外で教育を受けた人は、8×6 が多く、6×8 は少数でしょうか。
ひょっとしたら、6+6+6+6+6+6+6+6 や 8+8+8+8+8+8
を計算して求める と答える人もいると思います。
もちろん、いずれも正解です。
(♪) (1当たりの量)と(分量)を掛けることで、(全体の量)が求められる
からです。足し算で求める方法を答えた人はとても堅実だと思います。
えっ、8+8+8+8+8+8の理由が意味不明ですか。これは日常的にも使われている考え方です。運動会の玉入れで数を数えるときを思い出してください。つまり、8人のひとがそれぞれの箱から1個ずつ取り出していくと、6回取り出した時点で数え終わるでしょ。
「教育上掛ける順番は大切」「どちらでもいい」「外国では逆に教えている」「左から作用させることが多い」「単位が異なるから順序は大切(※0)」などなどの意見があることは、ツイッターやYouTubeで何度か目にしたので知っています。
高校生の頃、遠山啓氏の本を読んだので、仮に(1当たりの量)×(数量)=(全体の量)が正しいとしても8×6が成り立つことも知っています。(玉入れやトランプ式 ※1)
考えている世界が可換なのだから、(♪)が本質で、本来そのように教えられるものだと思います。記号「×」には可換性が仮定されていません(※2)が、対象としている数の世界で可換なのだから、順番を気にする方が不思議です。因みに、高校、大学では左からの作用が多く用いられています。高校数学(数学Bの和公式)も
a+a+a+…+a= aをn個足す =na
と書きますし、場合の数で学ぶ「積の法則」も高校教科書の多くが左作用で書かれています(※3)。一度だけ、右作用で書かれた教科書を見掛けたことがあります。それくらい稀なのです。
さらに、代数学(細かいことは省きますが)でも、
n<0 のとき, na:=(-a)+(-a)+(-a)+…(-a)=(-a)が(-n)個
という書かれ方をします(※4)。
次の問題を考えてみてください。
家族7人で回転寿司に行きました。そのときの様子は以下の通りです。13歳のわたしは10皿、7歳の妹は5皿、16歳の兄は27皿、43歳の父は12皿、37歳の母は35皿、65歳の祖父は7皿、72歳の祖母は47皿食べました。1皿に寿司が2個ずつ乗っているとすると、わたしの妹は寿司を何個食べましたか。(※5)
この問題を小学2、3年生が「10個」と解けたのなら、何の問題もありません。いろいろな数量を処理したのだから、とても賢いと思います。「5+5」であってもです。もう既に書きましたが、このように考えると自然です。
わたしの妹が食べた寿司が、イクラ、マグロ、サーモン、たまご、ハンバーグとし、この5皿を並べて1個ずつ順に食べたとすると、5+5ですよね。
ところで、足し算や掛け算を理解していないと、7歳の妹が5皿食べたのだから、7+5や5×7や7+2+5などとしてしまうものです。この混乱を狙った問題なのですが、問題文を理解し10個と出したのなら、5+5でも2+2+2+2+2でもとても賢いと思います。もし足し算で答えを出したのなら、このときに「掛け算」が使えることを教えればいいのです。何度も教えれば、いつか気づくものです。
私の言いたいことは伝わったでしょうか。
大学所属の数学者たちが文科省に意見書を出さない限り、本質から逸れた議論が今後も続くと思います。検定教科書に名が載っている数学者たちには、未来の子供たちのためにがんばってもらいたいと思います。▢
※0 オームの法則は単位が異なりますが、「E=IR」も「E=RI」も使われているようです。本質は、電位差と電流は比例することだと思います。積の順序ではありません。
※1 玉入れ式は既に述べた通りの方法です。「トランプ式」はトランプを配るときの方法です。多くは、一枚一枚を一人一人に順繰りに配付していると思います。1周すると人数分の枚数を配ることになります。だから、何周するかで配った枚数が判りますね。1箱から1個ずつ取っていくと、6周したら全部取り終わります。だから、8×6となります。
この主張は真正面から「掛け算の順序」に異議を唱えていると思います。でも欠点は、立式した人がそこまで考えたとは思えないことです。掛けたら求められると覚えているだけで十分だと思います。
この「トランプ式」が遠山氏の本でないなら、矢野健太郎氏の本です。40年も前の記憶なので自信がありません。
※2 【雑談は数学の肥やし】記号「×」には可換性が仮定されていません。をご覧ください。
※3 積の法則「2つの事柄A,Bがあって、Aの起こり方がa通りで、そのそれぞれに対してBの起こり方がb通りであるとき、AとBがともに起こる場合はab通りである」というものです。もしも(1当たりの量)×(数量)=(全体の量)が絶対なら、Aのある1つの事柄に対してb通りあるのだから、baと書くことになります。でも、ほとんどすべての教科書がabの表記になっています。
※4 2-1. いまさらきけない『文字式の扱い方』にも書きましたが、文字をアルファベット順に書くことは多いのですが、絶対ではないことがこのことからも判りますね。もしも中学数学でアルファベット順を強調しているのなら、本質から逸れています。
※5 「貫」を用いると、混乱が生じる可能性があるので、敢えて、「個」を用いることにしました。
補遺
テストの正誤判断について、ガッコのセンセに文句を言っても何も変わりません。指導書、学校毎、出身教育大学毎、指導教官などさまざまな理由があると思われます。塾のテストでさえそうなのです。
尚、大学の数学者たちは、数学的に誤りでない限りペケにしません。ひょっとしたら、ペケにするような数学者を幸い知らないだけかもしれません。
日本の大学の数学者たちが、小中高の学校教育にも興味関心を持ち、教科書検定で名前だけを連ねるだけのことから脱し、教科書の誤りに問題提起するようになれば、数学の出来る学生も多くなるだろうし、文系や理系などというおかしな区分もなくなるだろうし、さらには技術革新(innnovation)に貢献できると思うのですが…。妄想は膨らむ■
加筆(2021.4.1)
補足 どの本に書かれていたか調べてみたら、現在所有している次の2冊に書かれていることが判りました。
左の矢野健太郎著『おかしなおかしな数学者たち』(新潮文庫)昭和59年
は古本でしか残っていないようです。102ページから始まる章『遠山啓』の節「カード式配り方」(119ページ~) の記憶が残っていたようです。
右の志村五郎著『数学をいかに教えるか』(ちくま学芸文庫)2014年
は値段が高めですが手に入るようです。045ページから『3.掛け算の順序』の章を設けて書かれていました。7年ほど前に読んだので忘れていました。志村谷山予想で知られている志村氏も触れていたのですね。