2021/03/31

Mr.Robotにプログラムする

 いきなりの問題で嫌だと思いますが、これを考えてみてください。

「小さな箱が8箱あり、1箱にデコポンが6個ずつ入れられています。全部でデコポンは何個ありますか」
あなたなら、この問題をどのような計算式で答えの48個を導きますか。


日本の学校教育に忠実な人は、6×8 が多く、8×6 は少数だと思います。
日本以外で教育を受けた人は、8×6 が多く、6×8 は少数でしょうか。
ひょっとしたら、6+6+6+6+6+6+6+6 や 8+8+8+8+8+8
を計算して求める と答える人もいると思います。

もちろん、いずれも正解です。

(♪)  (1当たりの量)と(分量)を掛けることで、(全体の量)が求められる

からです。足し算で求める方法を答えた人はとても堅実だと思います。

えっ、8+8+8+8+8+8の理由が意味不明ですか。これは日常的にも使われている考え方です。運動会の玉入れで数を数えるときを思い出してください。つまり、8人のひとがそれぞれの箱から1個ずつ取り出していくと、6回取り出した時点で数え終わるでしょ。


「教育上掛ける順番は大切」「どちらでもいい」「外国では逆に教えている」「左から作用させることが多い」「単位が異なるから順序は大切(※0)」などなどの意見があることは、ツイッターやYouTubeで何度か目にしたので知っています。
高校生の頃、遠山啓氏の本を読んだので、仮に(1当たりの量)×(数量)=(全体の量)が正しいとしても8×6が成り立つことも知っています。(玉入れやトランプ式 ※1)


考えている世界が可換なのだから、(♪)が本質で、本来そのように教えられるものだと思います。記号「×」には可換性が仮定されていません(※2)が、対象としている数の世界で可換なのだから、順番を気にする方が不思議です。因みに、高校、大学では左からの作用が多く用いられています。高校数学(数学Bの和公式)も

           a+a+a+…+a= aをn個足す =na

と書きますし、場合の数で学ぶ「積の法則」も高校教科書の多くが左作用で書かれています(※3)。一度だけ、右作用で書かれた教科書を見掛けたことがあります。それくらい稀なのです。

さらに、代数学(細かいことは省きますが)でも、

       n<0 のとき, na:=(-a)+(-a)+(-a)+…(-a)=(-a)が(-n)個

という書かれ方をします(※4)。


次の問題を考えてみてください。

家族7人で回転寿司に行きました。そのときの様子は以下の通りです。13歳のわたしは10皿、7歳の妹は5皿、16歳の兄は27皿、43歳の父は12皿、37歳の母は35皿、65歳の祖父は7皿、72歳の祖母は47皿食べました。1皿に寿司が2個ずつ乗っているとすると、わたしの妹は寿司を何個食べましたか。(※5)


この問題を小学2、3年生が「10個」と解けたのなら、何の問題もありません。いろいろな数量を処理したのだから、とても賢いと思います。「5+5」であってもです。もう既に書きましたが、このように考えると自然です。

わたしの妹が食べた寿司が、イクラ、マグロ、サーモン、たまご、ハンバーグとし、この5皿を並べて1個ずつ順に食べたとすると、5+5ですよね。

ところで、足し算や掛け算を理解していないと、7歳の妹が5皿食べたのだから、7+5や5×7や7+2+5などとしてしまうものです。この混乱を狙った問題なのですが、問題文を理解し10個と出したのなら、5+5でも2+2+2+2+2でもとても賢いと思います。もし足し算で答えを出したのなら、このときに「掛け算」が使えることを教えればいいのです。何度も教えれば、いつか気づくものです。


私の言いたいことは伝わったでしょうか。
大学所属の数学者たちが文科省に意見書を出さない限り、本質から逸れた議論が今後も続くと思います。検定教科書に名が載っている数学者たちには、未来の子供たちのためにがんばってもらいたいと思います。▢


※0 オームの法則は単位が異なりますが、「E=IR」も「E=RI」も使われているようです。本質は、電位差と電流は比例することだと思います。積の順序ではありません。


※1 玉入れ式は既に述べた通りの方法です。「トランプ式」はトランプを配るときの方法です。多くは、一枚一枚を一人一人に順繰りに配付していると思います。1周すると人数分の枚数を配ることになります。だから、何周するかで配った枚数が判りますね。1箱から1個ずつ取っていくと、6周したら全部取り終わります。だから、8×6となります。
この主張は真正面から「掛け算の順序」に異議を唱えていると思います。でも欠点は、立式した人がそこまで考えたとは思えないことです。掛けたら求められると覚えているだけで十分だと思います。
この「トランプ式」が遠山氏の本でないなら、矢野健太郎氏の本です。40年も前の記憶なので自信がありません。

※2 【雑談は数学の肥やし】記号「×」には可換性が仮定されていません。をご覧ください。

※3 積の法則「2つの事柄A,Bがあって、Aの起こり方がa通りで、そのそれぞれに対してBの起こり方がb通りであるとき、AとBがともに起こる場合はab通りである」というものです。もしも(1当たりの量)×(数量)=(全体の量)が絶対なら、Aのある1つの事柄に対してb通りあるのだから、baと書くことになります。でも、ほとんどすべての教科書がabの表記になっています。

※4 2-1. いまさらきけない『文字式の扱い方』にも書きましたが、文字をアルファベット順に書くことは多いのですが、絶対ではないことがこのことからも判りますね。もしも中学数学でアルファベット順を強調しているのなら、本質から逸れています。


※5 「貫」を用いると、混乱が生じる可能性があるので、敢えて、「個」を用いることにしました。


補遺
テストの正誤判断について、ガッコのセンセに文句を言っても何も変わりません。指導書、学校毎、出身教育大学毎、指導教官などさまざまな理由があると思われます。塾のテストでさえそうなのです。

尚、大学の数学者たちは、数学的に誤りでない限りペケにしません。ひょっとしたら、ペケにするような数学者を幸い知らないだけかもしれません。

日本の大学の数学者たちが、小中高の学校教育にも興味関心を持ち、教科書検定で名前だけを連ねるだけのことから脱し、教科書の誤りに問題提起するようになれば、数学の出来る学生も多くなるだろうし、文系や理系などというおかしな区分もなくなるだろうし、さらには技術革新(innnovation)に貢献できると思うのですが…。妄想は膨らむ■

加筆(2021.4.1)
補足 どの本に書かれていたか調べてみたら、現在所有している次の2冊に書かれていることが判りました。

左の矢野健太郎著『おかしなおかしな数学者たち』(新潮文庫)昭和59年
は古本でしか残っていないようです。102ページから始まる章『遠山啓』の節「カード式配り方」(119ページ~) の記憶が残っていたようです。

右の志村五郎著『数学をいかに教えるか』(ちくま学芸文庫)2014年
は値段が高めですが手に入るようです。045ページから『3.掛け算の順序』の章を設けて書かれていました。7年ほど前に読んだので忘れていました。志村谷山予想で知られている志村氏も触れていたのですね。

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ちょっと・・・それは・・・ ~ 定義とその周辺の話 ~

内容的には高校数学なのですが高校生には難しいと思います。ただ高校生であっても定義・定理(命題)・公理の区別が出来ているのであればおもしろいと思うし、数学教師志望の教育学部や数学科の学生には興味深い話だと思います。 現在、 『数学事始め』 では指数関数・対数関数の話をしています...