割合や比は小学算数5または6年生で学びますが、きちんと理解できている子供はクラスに1人いるかいないかだと思います。教えている先生自身、理解しているか不安です。
割合の問題を解いた答えが合っているのと理解しているのとは異なります。難関と言われる中学・高校・大学の受験生に数学を指導していても、高校数学を教えている教師と話していても、理解しているかどうか怪しい人が少なくない状況です。こうして書いている私自身、理解しているのでしょうか...
さて、次の問題を考えて見てください。出題者は(故) 森 毅 京都大学名誉教授です。
あるテレビ番組(クイズを出題しながら世界中を紹介する教養娯楽番組)の最後の問題で、数値を当てるクイズが出されピタリでない場合はその数値にもっとも近い人を正解とするルールになっている。そのクイズで答えが1000で、ボクが2000と回答した。でも300が正解とされたので、2000の方が割合が近いじゃないかと言ったけど却下された。
という内容のことを書籍やある教養番組で話されていました(※1)。その書籍も教養番組もその教養娯楽番組も偶然視聴していました。そのやり取りも不思議な感じてみていました。恥ずかしいことに、森毅教授の主張がきちんと理解できなかったからです。
問題は森 毅教授の考えが理解できるか否かです。
みなさんは300と2000ならどちらが近いと判断しますか。その理由が問題の答えになると思います。
解けましたか。教養番組の中では、「300よりもむしろ3000の方が近い。30なら桁違い。0は2000より近いのか。マイナス30でも近くなってしまう」というように主張されていて、理解を助けてくれています。「倍で考える」というのは割合のことを言っています。割合が苦手な人が多いことを見越しての説明だと思います。番組制作者は名の知れた大学を出ているはずなのに、なぜにこれほどまでに算数ができないのかを嘆いておられるのだと思います。
※ 次の解説部分は、割合を理解している人には不要です。
解説(答えが欲しい人は答えをご覧ください)
例えば、一さんと二葉さん、三葉さんと四葉さん、それぞれにアメちゃん(飴玉)を上げました。三葉さんは四葉さんより5個も少ないのに文句を言いません。二葉さんには一さんより1個多く上げただけなのに一さんはとても文句を言っています。アメちゃんの大きさはどれも同じです。この理由が想像できますか。三葉さんは優しいとか、大人だとかではありませんよ。アメちゃんはみんな好きです。
では、アメちゃんの個数を言います。
三葉さんには2000個、四葉さんには2005個です。一方、一さんと二葉さんには0個と1個
です。これで一さんが文句を言っている理由が理解できましたね。森毅さんの主張の差で考えるのではないを解説しました。例えば、一さんに1個で二葉さんに6個上げると差は5個ですが、文句を言いそうですよね。アメちゃんでなく、ボーナスとかだったら切実な問題を感じると思います。
ものを比べるとき、何らかの基準が必要になりますね。
例えば、ラーメン屋さんを10軒はしごして美味しさを評価するとします。このとき、1軒目のラーメン屋の美味しさを数値で評価するときどのようにしますか。5点満点で評価するとして、如何なる場合でも5を付けないと思います。たとえどれほど美味しかったとしてもです。理由は簡単ですね。2軒目以降が1軒目より美味しくても5点の評価になりますね。万が一、1軒目がもっとも不味かったら評価の意味がありません。「私なら評価ができる」というのなら、これまでに多くの店を回って味見し自分なりの評価基準があるからです。
その基準となるものとして割合という考えが出てくるのです。2000個と2005個なら、感覚的に同じだと感じますね。でも、0個と1個はあるなしの違い。1個と6個でも、感覚的に大きな違いを感じると思います。これを評価するのが割合です。2000個を1と見ると、2005個は1.0025です。1と1.0025だと同じ感じですね。でも、1個を1と見ると、6個は6。6個を1と見ると、1個は0.1666...です。1と0.166...と見ても大きな違いを感じますね。0.166...は0に近いからです。
ここまで感覚的なことで主張してきましたが、日常でも割合は至る所にあります。いまは余り感じないと思います。でも少し前なら、長さ・重さなどは国や地域で異なりました。ヤード、キュービッド、寸、尺、間、丈など知らないと思いますが現在でも使われています。でも、単位換算によって、メートル、グラム、リットルが普及したので余り困りません。このとき、単位換算だけでなく、ヤード、キュービッド、寸、尺、間、丈なども割合の考えを使っています。それぞれ基準を決めて考えていますね。このときに割合が使われているのです。
NHK教育があった頃の『さんすうみつけた(1995)』は、とても数学的な番組でした。
えんぴついくつ分かで長さを測ろうしますが、そのえんぴつの長さが違ってしまってうまく測れないので、いろいろ工夫する様子が描かれていました。
これは基準を決めて割合で考えようとしているのです。
数学的な説明を加えます。
割合の考え方は単純で、自分自身を1と見て他と比べようとしているのです。例えば重さを比べるときに自分の体重100㎏を1として50㎏、80㎏、100㎏、120㎏を比べると0.5, 0.8, 1, 1.2となります。自分のいくつ分かを考えているので、
自分の体重×いくつ分=相手の体重(または、いくつ分×自分の体重=相手の体重)
が基本式です。いくつ分というのが割合です。森流に言えば何倍かです。だから、自分が基準だから、比べる場合は自分の体重で割ります。等式の性質からそうなりますね。
小学算数だとこれを公式として教えます。だから難しくなるのです。原理は自分の何倍かだけです。
大抵の場合、全体量を基準にするので、データが0以上1以下になります。この数値を見やすくするために、パーセントが使われます。パーセントは100点を基準にしたものです。歩合(割・分・厘・毛)の割は10点を基準にしたものです。五分五分のように日常でも使っていますが、これは全体を10として考えているだけです。
比べたい量が基準量の何倍か。比較量を比、基準量を基、何倍をkとすると
(割合の基本式)比=k・基
となりますね。k倍を割合、基準量は基にする量、比較量は比べる量ともいいます。小学算数では、
割合=基にする量÷比べる量
と書いていますが、割り算になるのは元の式が掛け算だからです。これを定義式にするのは歪んでいると思います。そもそも割り算は掛け算から生じたものです。
答え 森毅教授が正しい。▮
現在、手元に残っている森毅の著書は、『線型代数 生態と意味』『位相のこころ』『現代の古典解析』『数学の歴史』『解析の流れ』『現代数学と数学教育』です。
本文で触れた話は次のどちらかで読んだと思うのですが、引っ越しのとき処分してしまったようで、手元に残っていないのです。『まちがったって...』は残ってたと記憶してたのに...
左)『まちがったっていいじゃないか』(ちくま文庫)
右)『数学的思考』(講談社学術文庫)
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