専門書であってもときどき気になる記述を見掛けます。その具体例を2つ挙げますが、やさしくないので高校数学の範囲でも例を2つ挙げます。
例1, 2では数学科の2, 3年生で学ぶ内容で紹介し、例3, 4は高校数学です。ひょっとしたら、気になるのは私だけなのかもしれません。後ほど解説もします。
例1《『線形代数 教科書』佐久間元敬 他共著の 「第7章 §2 べき零行列の標準形」 から》
命題7.4 n 次の正方行列 A に対して,次は同値である
(1) A はべき零行列である (2) A は対角成分が0の三角行列に相似である
証明 (2)⇒(1):A の固有多項式は \Phi_A(\lambda)=\lambda^n であるから,Caylay-Hamilton
の定理によって \Phi_A(A)=A^n=O.ゆえに A はべき零である.▮
例2《『代数系入門』松坂和夫著の 「第4章 §4 線型写像の空間, 双対空間」 から》
いま体 K 上の線型空間 V の1つの元 x に対し,写像 \hat{x}:V^* \rightarrow K を
\hat{x}(\lambda)=\lambda(x) \quad (\lambda \in V^*)
によって定義する.次に,写像
x\mapsto \hat{x} \quad ・・・(♪)
を考えると,これは V から V^{**} への線型写像である.さらに \hat{x}=0,すなわち,
すべての \lambda \in V^* に対して
\hat{x}(\lambda)=\lambda(x)=0
とすれば x=0 であるから,(♪)は単射準同型写像である.(略)▮
例3 xを変数とする2次方程式 x^2+2x-5=0 の正の解を求めよ。
解答例 x^2+2x-5=0,
x=-1\pm \sqrt{6}.
x > 0 より
x=-1+\sqrt{6}. ▮
例4 xの2次方程式 x^2+2ax+a+2=0 が2つの正の解をもつとき、
実数定数 a の値の範囲を求めよ。
解答例 2次方程式の2つの解を \alpha, \: \beta とし, 判別式を D とする.
このとき2つの正の解をもつための必要十分条件は
D>0, \:\: \alpha+\beta>0 かつ \alpha\beta>0.
判別式を計算すると
D/4=a^2-(a+2)=a^2-a-2
=(a+1)(a-2)>0,
a<-1 または 2< a. ・・・①
解と係数の関係より
\alpha+\beta=-2a>0 かつ \alpha\beta=a+2>0,
-2 < a < 0. ・・・②
よって①, ②より
-2< a <-1. ▮
質問1 例3, 4はよく見かける解答を挙げましたが、気になる記述はありませんか。
はじめにも書いたように、私だけかもしれません。
質問2 例1, 2に関してはどうですか。線形代数や代数の参考書としてよく知られている
例1は佐武一郎著『線型代数学』(裳華房)
例2は石田 信著『代数学入門』(実教出版)
でも同じような記載になっています(※1)。
[佐武] であれば4章1節の《付記. 最小多項式》
[石田] であれば 3-5 線形空間の《双対空間~問の前》
をご覧ください。
質問1について:
・例3の気になる記述は「x=-1\pm \sqrt{6}」です。x > 0 だからです。
書くなら「x=-1\pm \sqrt{6}」を削除するか、「方程式 x^2+2x-5=0 を解くと」と書き入れるかです。
※ 元ネタは線形代数演習のレポート問題で、この解答例は高校時代の真似です。
・例4の気になる記述は「=(a+1)(a-2)>0, =-2a>0, =a+2>0」です。結果的にはそうなるのですが・・・。
D>0, \: \alpha+\beta>0, \: \alpha\beta>0 であって、(a+1)(a-2)>0, -2a>0, a+2>0 ではありません。
書くのなら
D>0 であるから (a+1)(a-2)>0.
と記述します。高校数学Ⅱの教科書があれば確認してみてください。
あまり好まれないようですが
0< \alpha+\beta=-2a, \:\: 0< \alpha\beta=a+2. よって -2< a<0.
という書き方もあります。
この論理は三段論法の推移律と呼ばれるものです:
A ⇒ B かつ B ⇒ C であるなら A ⇒ C である。
質問2について:例4の気になる記述と同じです。
・例1の気になる記述 「\Phi_A(A)=A^n=O」
Caylay-Hamiltonの定理は \Phi_A(A)=O なので、O=\Phi_A(A)=A^n です。
・例2の気になる記述 「\hat{x}(\lambda)=\lambda(x)=0」
\hat{x}=0 と仮定したのだから、0=\hat{x}(\lambda)=\lambda(x) です。
このような記述のために時間を費やしてしまうことがあります。著者は理解して書いているので例4のような感覚なのだと思いますが、よく分かっていない者にとっては突然「=0」が出てくると戸惑うのです。この例1,2は短いので気づきやすいのですが、長い式変形の末に突然書かれたら意味不明です。もう一度最初から論理を追随し、自分なりに整理し、解きほぐすことになります。
でもこうした試みが理解力を上げてくれます。そもそも専門書には間違いが付きものです。初版本で記述に間違いのないものは存在するのでしょうか。そう考えると、私のものにも多くの誤りが眠っていることと推察します。
伊原康隆氏が『志学 数学』で書かれていました。初版本にはその著者の筆の勢いというのがあってよいものだと。▢
補足1 増刷の度に少しずつ誤りが訂正されます。20年程前からはネット上での訂正もあります。試しにお持ちの専門書「(書名) 訂正」で検索してみてください。
「環と体 訂正」で検索してみたら、「講座 数学の考え方 環と体 -朝倉書店」が出てきたのでクリックすると 正誤表 がありました。間違いが多過ぎて読むのを放棄した本です。正誤表をクリックしてみたら・・・訂正されてませんでした。
少しの記号ミスは些細で、証明ミスなら程度によりますが修正できます。主張のミスは証明にミスがなければ気づけます。でも定義のミスは、他の本、しかも同じような定義を採用しているものでないと初学者には無理だと思います。
補足2 例1, 2は、同期生のセミナーでの指導教官の指摘がきっかけです。その同期生はテキスト通りに解説したようですが、その記載に問題があったのです。もちろん別の内容(表現論)のセミナーです。その指摘で等号の使い方が理解できたと思います。これ以降このような記載を見かけるようになりました。つまり、気づいてなかったのです。
指導教官のついたセミナーの準備はたいへんですが、専門の知識が付くだけでなく本の読み方も学べます。院生はいわずもがな、大学生ならセミナーの時間を大切にしてくださいね。
※1 同じような記載になってしまうのは、[佐武] を参考に [佐久間] が書かれ、[松坂] を参考に [石田] が書かれたからだと思います。
ここに挙げた専門書は、放棄したものを除いて、いまでもよく使います。
佐武氏は『線型代数学』『線形代数』の2冊を書かれています。前者は線形代数の参考文献に必ず載るくらいの本です。学部の1,2年生にはかなり難しいと思いますが、専門性が高まるとその良さがだんだん感じられると思います。
私には難し過ぎて、学部時代には高木貞治氏の『解析概論』と並び本棚の飾りでした。素養を身に着けるまでは、無理せず、分かりやすい本がいいです。
感覚的には『白チャート』のような本をお薦めします。最近はそういう本が増えて良かったですね。英語が苦でないのなら、洋書の方が読みやすいこともあります。大学の図書館で探してみてください。